令和2年6月の話

 まもなく入梅でしょうか。ジメジメ、蒸し暑いこの時期は、一年のなかで一番過ごしにくいですね。さらに、コロナ対策でマスク着用ですから、例年よりも蒸し暑いことでしょう。この蒸し暑さを和らげてくれるのは、紫陽花ですよね。紫陽花の花言葉は、「無常」だそうです。確かに、白いお花が徐々に色付いてみどりになって紫になっていく様子は、まさに「無常」。一日として同じお花の色ではないですね。その移り変わりを眺めているのも楽しみの一つです。

 私たちの日常も、紫陽花と同じように「無常」です。ずっと同じ状態であることはありません。一番わかりやすいのは、建物の工事現場ですね。基礎工事が完了すると、徐々に建物が完成していく様子は、移り変わりがよくわかります。このようにわかりやすいものばかりではありませんが、身の周りのすべてのものは、移り変わっていくのです。その移り変わりの中で一番大切なものがあります。

 それは、身の周りの移り変わりを見ている私そのものです。私自身が、無常なのです。生後間もない時期は、日に日に成長するので、日々の変化に気が付きますが、成人となると、日々の変化が少ないので、変化に気づくことは難しいのですが、間違いなく移り変わっています。一年前や五年前の写真を引っ張り出して見てみると、今の私の様子と違っていることに気が付くことができます。写っている写真の当時には、日々の変化には気が付くことがなかったものの、長い時間をおいてはじめて変化に気が付くことができます。

 お日様の光に照らされても気が付きにくいのに、これからは梅雨入りとなり曇りがち。お日様も姿を現さなくなります。こんな私たちの心を照らし出してくださるのが、「私を目当て」として救いを差し伸べてくださる阿弥陀様のみ光です。己の変化には気が付くことが出来なくても、間違いなく救ってくださる阿弥陀さまは見ていてくださいます。

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