平成29年4月の話

 桶置場という名称よりは、水屋と呼んだ方が相応しいかなと思えるような新桶置場が完成してから、はじめての春を迎えました。水屋の丸い椅子に腰かけて、境内の様子を眺めてみると、見慣れていた景色も新鮮に見えるから不思議です。
 見え方が違うということは、元々、私が見ているものは変化していないにもかかわらず、いつもと見る方向が違ったり、角度が違ったりして、いつもと違うように見えることですよね。違うように見えると思えるのは、自分の中での比較ですが、元々、違う人が見ていれば、同じものを見ていても、見え方=感じ方は、違っていて当たり前ですよね。でも、私たちは、みんな同じように見えていると思い込んでしまいます。これが、煩悩というもので、自分の都合の良いように考えてしまうのです。他の人と違うと思うよりは、同じように感じているほうが、安心感があるので、みんな同じなんだと思い込んでいるのです。
 自分の都合だけで同じだと思い込んでいたにもかかわらず、他の人から違う意見を言われると、他の人の意見を認めずに、自分の意見に合わせようと考えてしまい、そこから争い事へと発展していくのです。私一人の心の中でも、その時々の心持によって見え方、感じ方が変わるのですから、違う人なら、同じ見えることの方が難しいことでしょう。違う見え方を否定し合うのではなく、違う見え方を合わせていけば、本当の姿が見えてくるのではないでしょうか?
 お釈迦さまは、この世に生まれてすぐに、天と地を指さして、「天上天下 唯我独尊」と、命の大切さを私たちにお示し下さいました。私の命も、周りの人たちの命も、かけがえのない大切な命なのです。大切な命を持つ者同士が争うことは、とても愚かなことです。みんなの命がかけがえのない大切な命のなのですから、お互いに認め合って、意見を合わせる時、命はより一層に輝くことでしょう。

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