平成30年8月の話

平成最後となる終戦記念日が巡ってまいります。七十三回目となる終戦記念日ですが、徐々に戦争を知らない世代が多くなり、八月十五日が何の日か知らないという世代が増えていると報じられております。私も戦争を知っている世代かと言えば、そんなことはありません。前住職や前坊守に戦争のことを教えてもらいました。お寺の本堂をはじめ、庫裡、鐘楼堂、山門などが東京山手大空襲で焼失したり、前住職の兄がフィリピンで戦死するなどの話を聞きました。「ガラスのうさぎ」の題材とされた東京大空襲や、広島・長崎の原爆投下、あるいは、日本各地で繰り返された軍事施設以外への爆撃攻撃などなど、たくさんの人の命が瞬時にして奪われました。さらに日本国内だけでなく、中国や韓国をはじめアジアの大陸でもたくさんの命が犠牲になりました。今月の暦に「戦争に勝者なし」と記されておりますが、まさにこの言葉の通りだと思います。誰も救われません。

昭和二十年八月十五日、玉音放送が流れた時、全国民は日本の敗戦を知ることになりました。大切な人を兵隊として見送り、そのままお別れをすることになった方、戦闘機からの掃射銃で目の前で大切な方とお別れをした方など、様々な気持ちでこの玉音放送を聞いたことでしょう。来年は、新しい元号で終戦記念日を迎えますが、どれだけ長い年月が過ぎたとしても、この終戦記念日のことを忘れてはいけません。

偶然だと思いますが、終戦記念日は、月遅れお盆の送り火(十六日の送り火もあります)の日にあたります。どうして日本が戦争への道を進んで行ったのか詳しい事情は分かりませんが、一度動き出した戦争を止める力は軍部にもなかったのではないでしょうか。それを止めてくれたのは、ご先祖の方々だったのだと思います。私たちの生命は、数えきれないご先祖の生命の上に立たせて頂いていることを忘れてはなりません。

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