令和6年1月の話

 新しい年を迎えると、それだけで嬉しくなりませんか。大晦日から一日過ぎただけなのに、その一日の違いで、『年』が新たになったと思うと、特別に感じますね。二十一世紀となって二十年以上が経過しましたが、一年新たになるだけでも嬉しいところが、その百年分となる『世紀』が新たになる時は、世界各地ですごいお祭り騒ぎだったように記憶しています。一方で、一年を分けて考えてみると、十二ヶ月に区切ることができます。その『月』の最後の日は、晦日と呼ばれ一日変わると、月が新たになり、気持ちの切り替えは出来るものの、年が新たになるような嬉しさは感じなくなります。さらに、その月を細かく分けてみると、三十の『日』に分けることができます。そして、その『日』の変わる時に何か感じるかと考えてみると、「今日は疲れたなぁ~」と思うくらいで、一日の終わりを意識することもありませんし、新たに迎える日に気持ちが新たになることもありません。

 私たちは諸行無常の世の中を過ごしております。世の中は常に移り変わっているのに、その移り変わりに気づかないのは、煩悩まみれの私たちが鈍感なだけなのです。例えば、お天気が穏やかな大海原の船旅を楽しんでいる時は、見渡す限りに穏やかな海の景色が見えるだけで、なにも変わっていないように感じるのと同じことです。

 年が新たになるということは、月が新たになり、日が新たになるのと同じことです。年が新たになる時に、嬉しく感じるのであれば、月が新たになる時、日が新たになる時も、同じように嬉しく感じるのが本来の姿です。一年三百六十五日もあると、日々の有難さを感じにくくなりますが、毎日が我が人生においては新たな一日なのです。毎日が元日であり、毎日が大晦日なのです。年が新たになった時の新鮮な気持ちを、お正月だけの気持ちにしないで、今年は毎日を嬉しい気持ちで過ごしていきたいものですね。

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