令和5年7月の話

 ここ高輪は、古くからある台地で海の方から見ると、高台に縄みたいな道が見える所から「高縄」と名付けられたそうです。現在では、「高輪」と書くので本来の意味が分かりににくいですね。古くからある台地のせいか、狭い路地がたくさんあります。地元民は、その細い路地の便利な生活道として活用しているのですが、その便利な生活道が突然通行止めになったのです。それは、お寺から泉岳寺駅まで歩く時に利用されている方も多いと思うのですが、泉岳寺様と高輪学園様の間の細い路地が四ヶ月間も工事のため通行止めになったのです。大きな国道ならばアスファルトの補修工事など頻繁に見かけますが、この路地が工事のために通行止めになるとは思いもしませんでした。この路地が通れないと、伊皿子の交差点まで迂回しないといけないので、歩くことを考えると10分以上の遠回りとなります。工事の完了が待ち遠しく思っていましたが、先月末には無事開通しました。

 小さな路地でも長い時間の中では傷むところが出てくるのですね。まさしく諸行無常です。泉岳寺様をすぎて国道まで歩くと、高輪ゲートウェイ駅が見えてきます。開業から2年数か月が過ぎ、現在は周辺の商業施設が建設がすすみ、ようやく全体の様子が見えてきた感じです。この周辺施設の工事の際には、日本で初めて敷設された鉄道の引き込み線が発見されました。明治時代からに人々を驚かせた汽車のレールが令和になって発見される。また、高輪ゲートウェイ駅のすぐそばには、高輪大木戸跡があります。今は、第一京浜国道にたくさんの自動車が行き交っておりますが、二百年前には高輪大木戸で人々や物の移動について細かく制限していたことでしょう。

 日々の暮しの中で、いつまでも変わらないと思いこんでいることも、よくよく見てみると、その変化に気が付いていないだけではないでしょうか。移り変わりゆく時間の中では、今の時間が何よりも大切に思えてきますね。

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