令和4年3月ほのぼの「辛い記憶」

私の祖父は、第二次世界大戦の時、ラバウルに行っていました。しかし、戦争が激化し、祖父は大砲の破片が当たり、大怪我をして、呉の病院に収容されました。その間にラバウルは全滅してしまった様で、自分だけが生き残ったことを悔いるかの様に、生前話しておりました。今、世界で戦争という悲惨な事が起こっております。綺麗だった街が破壊され、昨日まで平和に暮らしていた子供達の笑い声は、銃声に代わり、公園や広場、建物が破壊された様子の映像は、見るに堪えません。傷付け合う事から何が生まれてくるのですか…。怯える人達の映像を見ると、ここから得られるものがあるのだろうかと考えてしまいます。祖父が私達孫を集めて、戦争の話をしてくれる時、必ず、「誰も望んで戦争をしてなかったよ。現地の人はとても優しかったから、その土地を荒らしてしまうのが、本当に申し訳なかった。若い兵士は、故郷の夢を見るのだろうな…泣きながら眠っていたよ。」と話してくれました。祖父も戦後亡くなるまでの四十年余り、戦争の話をする時、とても辛そうでした。辛い記憶が残るのではなく、温かい記憶で溢れる世の中になるように念じてやみません。

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