令和5年10月の話

 十月を迎えると気持ちは、證誠寺の報恩講法要へ向いてまいります。いつもと同じ報恩講なのですが、今回だけは特別に嬉しく感じます。昨年十二月に手術した膝が春の法要までには完治せず、礼盤を少し手前にずらして腰掛けるスタイルで法要をお勤めしました。その後徐々に膝を深く曲げることができるようになり、七月頃には正座が出来るようになりました。なので、今回の法要は、礼盤に正座してお勤め出来るというのが、嬉しい原因だと思います。今まで出来ていたことが出来ない不自由さと、再びできるようになったことの有難さがよくよくわかる一年でした。
 もう一つ嬉しい理由があります。それは、令和元年の報恩講法要がコロナ感染症の規制が始まる前の最後の法要でした。副住職の結婚の報告をさせていただいたことが懐かしく思い出されます。その年の年末頃から新型の感染症が報じられていたのが全国に広まり、大規模な規制が始まりましたね。

 コロナ感染症はいまだ感染者が大勢いるようですが、今年の五月に感染症の五類へ変更されたことで、規制などは一区切りとなりました。春の法要の時は、ほぼ規制はなかったようですが、五類へ移行前だったのですが、秋の法要では、完全に制限のない法要となったことも嬉しさの一つですね。
 三年間のコロナ感染症の対策をする中で、コロナ前の制限のない生活がどれほど恵まれていたことかを思い知らされたように思います。この三年間は感染症対策で不自由に感じたこともあるかもしれませんが、恵まれていたことに気づかせてくれた出来事だと思えば有難い試練ですよね。私たちの命の営みは、どんな出来事がおきても止めることや、やり直すことはできません。巡り合った出来事と共に過ごして行かなければなりません。今回の試練は、できる事へ目を向けて生きるということを学ぶ機会だったように思います。阿弥陀様はどんな時も一緒に居てくださいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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