令和5年6月の話

 十数年ぶりに酷い風邪をひきました。熱は上がらなかったのですが、夜も眠れないほど咳がひどくなりとても辛い思いをしました。

詳しいことはわかりませんが、夜寝ようと思って体を横にすると咳き込んでしまうので、咳が一番辛い時は、背中に下にクッションを敷いて、上半身が斜めになるようにして寝ていました。咳がでるだけでこれだけ辛いのだから、コロナで重症化した方々が肺炎を併発した時は、とても辛かったのだろうと今更ながら共感できるようになりました。

 コロナ感染症が蔓延していた時にも感じたことですが、テレビや新聞の報道では日に日に増えていく感染者数が報じられる一方で、自分たちの周りには感染した人の話がないと、感染症の大変さは分かるのですが、どこか他人事のように感じてしまう部分がありました。少しずつ身の回りの方々が感染したという話を聞くようになり、本当にコロナ感染症は怖いものだと思うようになりました。

 今ではすっかり完治しましたが、昨年の暮れには半月板の手術を経験して回復していく過程でも、術前に主治医からしばらく正座はできないとの話を聞いていたにもかかわらず、退院して日常生活に戻ると、しゃがめないこと、正座できないこととは、こういうことなんだとその時にはじめて不便を感じました。

 頭で考えることと、実際に経験すること、頭の中で理解したつもりでいても、本当のところは分からない…咳の辛さにしても、正座が出来ないことにしても、自分自身の身体のことなのに本当のところが分からずに思い込んでしまうものですね。よく分かるはずの自分のことでも分からないのですから、身の回りの人たちのことを本当の意味で理解することは、とても難しいことです。にもかかわらず、「あの人は分かっていない」と口から出ることはありませんか。分かっていないのは私の方です。すべての者を理解してくださるのは阿弥陀さまに他なりません。

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