父のお盆の法要の為に、実家に帰りました。東京は、七月がお盆で、関西は八月がお盆の時期になので、その間の時期にお盆の法要をお勤め頂きました。お寺に伺い、ご本堂でお勤めをして頂いたのですが、冷房はなく、扇風機が置いてあり、椅子は使う方が持って来て座るという感じでした。私が證誠寺に来た時は、そんな感じで、なんとなく懐かしい思いがしました。ご本堂の窓や扉は全て開けて下さっていたので、どこからか風が感じられ、蝉の大合唱と共に、お念仏をお唱えしました。ご住職が法要後、こんなお話をして下さいました。「南無阿弥陀仏の意味は、どこにいても、何時でも、すなわち、いつでも、ずっと阿弥陀様がお側に居て下さる、見ていて下さるという事なのです。」と優しいお声でおっしゃいました。浄土真宗の、往生即成仏という、ご往生されたらすぐに仏様となられるという教えは「父が苦しんでいるのでは」「ちゃんと極楽浄土に行ったかな」と心配する事なく、「仏となり、先に往生された方と今頃会ってるのかな」と思えます。寂しい中の一筋の安心です。改めてそう感じる今日この頃です。