春の法要が無事おわり、ホッとする時期なのですが、境内に落葉が目立つのです。新緑のこの時期に落葉はないだろうと思っていたのですが、落葉をよくよく見れば、その落葉は常緑樹の緑の葉っぱ。落葉といえば、落葉樹だけで、紅葉を楽しんだ後、パラパラと落葉して最後は枯れ木のようにすべての葉を落とす時の代名詞と思い込んでいました。では、常緑樹がの葉っぱは何十年も同じ葉っぱなのかと考えれば、それもおかしな話です。常緑樹の葉っぱの落葉の時期を調べてみると、樹木の種類により異なるそうですが、新芽がでたら、旧葉が落ちる木や、旧葉が五年くらいかけて落ちる木など様々だそうです。一年中、緑の葉っぱがついていても、ちゃんと新芽と旧葉が入れ替わっているのですね。大來先生にお話しいただいた「諸行無常=Everything is changing」という言葉のとおりです。この世の中のすべてのものは移り変わっていくのです。改めて教えていただいたように思います。
大來先生は、「Everything is changing」では、完全な形ではなく、「including me」を忘れてはならないとご教示下さいました。「including me=私を含めて」が大切なのです。ついつい、私が見ているものばかりが移り変わり行くと考えてしまいますが、私も含めて変わりゆくのが、とても大切なところです。
私の体を見てみましょう。頭や手足、胴体など変化はないように見えますが、もっと細かく体を観察しましょう。髪の毛や肌、爪など、細々観察してみると、髪の毛や爪などは、気がつくと伸びてきていませんか?。しかし、いつ伸びているのか、じっと見ていていもその変わりぶりは分かりません。肌にしても、垢となり体から離れていくのに、肌の表面は変わりないように見える。ちょうど常緑樹のように、私、本人にも分からないように、私の体は移り変わっているのです。爪を切ろうと思うように、その変化が大きくなった時に初めて気付くのが、私の諸行無常なのです。