平成29年6月の話

 バーチャルリアリティという言葉を耳にする機会が多くなったように思います。仮想現実とでも言うのでしょうか、専門的なことは詳しくありませんが、数年前から3D映像のものがありましたが、最近の注目は、ゴーグルのようなものを目の前に取り付けて体験するようです。目の前に小さなモニターが取り付けられている状態なので、周りは見えないようです。例えば、目の前のモニターに海が映し出されているとします。今までの3D映像でも、波が打ち寄せてくるように見えていました。この装置のすごいところは、顔を横に向けると、砂浜が見えてくるのです。顔を上に向けると青空が…、見えるそうです。この映像に波の音などのビーチで聞こえる音を合成したら、まるで南国のビーチにいるように感じるそうです。この映像と音響を工夫すれば、本来、人間が行けない宇宙空間や火山の火口などに行ったような体験を出来るようになるそうです。
 とても素晴らしい装置ですよね。でも、その装置をつけている自分の姿が見えないというところが、私たちの日常を表しているように思えます。私たちは、自分のことは自分が一番よく知っていると思い込んでおります。しかし、一番見えてないのが自分の姿です。鏡がないと、顔に汚れがついていても気付くこともありません。真っ直ぐ立っていると思っても、どちらかに傾いていたりするものです。
 科学の発達によって、目の前にないものでも体験できるようになりましたがこの装置に出来ないことは、他の方とつながることです。私たちは、人生の歩みを進める中で、一人っきりでは生きていくことはできません。ともに手を取り合い、お互いに助け合いながら生きていくのです。どれだけ科学が発達しても、その機械を利用する私たちの命の儚さは、なんらかわっていきません。かわらない命の儚さに光をさしてくださるのは、阿弥陀さまの御教えにほかならないのです。

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