令和元年10月の話

 今月の自坊の暦の言葉に、「報恩講」と記されていますが、当寺ではご案内の通り、今月二十八日に報恩講がお勤まりになります。そして私ども證誠寺が属する芝組では、今月十五日にお勤まりになる報恩講が最初の報恩講法要となり、十七日、二十二日、二十六日…と、少しずつ日程をかえてそれぞれのお寺でお勤まりになります。私は、当寺の報恩講法要にお参りいただく七ヶ寺の報恩講法要にお参りに伺います。芝組がおわると、十一月十一日からは築地本願寺、そして、一月には京都の本山・本願寺で報恩講法要がお勤まりになります。報恩講法要とは、皆さまもご存知の通り、浄土真宗を開かれた親鸞聖人の御命日を偲ぶ法要です。煩悩具足の私たちに、阿弥陀如来様のみ教えをお示し下さった親鸞聖人のご苦労を悼み、私たちが阿弥陀さまにお会いできたご恩に感謝をする大切な法要です。親鸞聖人の祥月命日が一月十六日なので、その日に京都の本願寺にお参りできるように、一般寺院から先行して、順々にお勤めをしてまいります。
 親鸞聖人が阿弥陀さまの御教えに出遭われるまでには、とても長い年月がかかりました。親鸞聖人が御誕生になられたのは、平安時代末期の戦乱の時代。親鸞聖人九歳にして出家得度して、比叡山に登られ二十年間もの長い年月を修行に励まれたにもかかわらず、覚りを得ることなく、長年修行を捨て去り、法然聖人のもとを尋ね、阿弥陀さまの御教えに出遭われました。そのご苦労と、阿弥陀さまに出遭われた時の親鸞聖人のお歓びは、言葉では表すことが出来ないほどだったと思います。
 煩悩だらけの私だったら、苦労して得たものは、独り占めにしてしまうか、同じ苦労を他の者へ経験させてしまうことでしょう。すべてを私たちにお示し下さった親鸞聖人のお心に広さには、心より敬服いたします。令和を生きる私たちが阿弥陀さまに出遭えた歓びの気持ちは、親鸞聖人と同じことでしょう。

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